ヴィーガンは宗教?カルト?それともただの変人?

brown ganesha figurine ミニマリズム
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ヴィーガンになった理由をヴィーガンでない人に説明すると、必ず

「なんかの宗教?」「それはカルト?」「宗教っぽい」

と言われることが多い。実際のところはどうなのか?

ヴィーガンと宗教の違いについて、以前から色々学んでいたが、「ヴィーガンは宗教なの?」と言う問いに真面に答えれた記憶がない。先日ヴィーガンに関する書物を読んでいると今日のトピックに関わることが書いてあったので、今回はその情報を読者と共有したいと思う。

それぞれの定義について具体的に答えられる人が少ないため、まずは宗教、カルト、ヴィーガン、それぞれの定義から見ていく。

宗教とは

一般に、人間の力や自然の力を超えた存在への信仰を主体とする思想体系、観念体系であり、また、その体系にもとづく教義、行事、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。

参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教

カルトとは

悪しき集団であることを明確にするために用いられる通俗用語である。良い意味ではなく、反社会的な団体を指す世俗的な異常めいたイメージがほぼ定着し、犯罪行為をするような反社会的な集団を指して使用される。元来は、「儀礼・祭祀」の意味を表す、否定的・批判的なニュアンスを持たない宗教用語であった。

参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/カルト

ヴィーガンとは

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人間ができる限り動物を搾取することなく生きるべきであるという主義。英国にあるVegan Societyの定義によるとヴィーガニズムとは、「衣食他全ての目的に於て‐実践不可能ではない限り‐いかなる方法による動物からの搾取、及び動物への残酷な行為の排斥に努める哲学と生き方を表す。」

脱搾取主義(だつさくしゅしゅぎ)とも言う。

参照 https://ja.wikipedia.org/wiki/ヴィーガニズム

ヴィーガンは宗教?それともカルト?

それぞれを簡単にまとめると

宗教は神や人間または自然を超えた力を信じ

カルトは異常な考えを持った過激な集団

ヴィーガンは動物の搾取、残虐行為の排除に注力し、その原理、理性を問う

ヴィーガンと宗教、カルトを比べる

まず、ヴィーガンは人間ができる限り動物を搾取することなく生きるべきであるという主義と明記されていた。と言うことは、カルトのような過激集団でないことが証明された。もしヴィーガンが過激な集団であれば動物を殺したり、残虐行為を行っても何も思わないだろう。

次に、ヴィーガンは動物の搾取と残虐行為の排斥に努める哲学を問うと明記さていた。と言うことは、宗教のように何か人間、自然では成しえない力や神を信じないことが証明される。哲学というのは原理、理性を求めることで、科学で証明されないことは信じない。

以上を踏まえると、ヴィーガンは宗教でもカルトでもないことが明らかになる。

なぜヴィーガンは宗教だと思われるのか?

イスラム教では豚肉が禁止され、一部仏教では肉食を禁止としている。またユダヤ教でもジビエを禁止しているなど、宗教と肉食は深い関係であることは否定できない。だから宗教とあまり強い関係にない日本人が 肉を食べない=宗教 と連想させてしまうのは無理もない。だからヴィーガンと聞くと宗教だと勘違いしてしまうのだ。

実際のところは、とても現実主義で科学で証明された真実しか信じない。例えば、

  • 肉食は人間にとって理想的な食事でないこと
  • 畜産業が自動車、船、飛行機などから出る温室効果ガスの総重量をはるかに超えること
  • 人類が肉食をやめれば、地球温暖化、森林破壊、水の枯渇、餓死などが解決されること

これらは全て研究を通して明らかになった真実であり、これらの問題を解決するために神に祈りを捧げて豊作を願ったり、自然災害が起きないことを願ったり、神に生贄を捧げて許しを乞うことはしない。

現代においては、そのようなことは無意味だと皆が知っている。

ヴィーガンは個人活動家?

ヴィーガンは現実主義で科学で証明された真実、信用できるエヴィデンスがある事しか信じない。そして生き物を尊重し共存することを考え、地球上で起きている問題にも積極的に解決しようとしている個人活動家である。

だから決して、人間と自然ではなし得ない力は信じず、カルトのような過激な考えを持った人でもない。ただ純粋に、健康、地球、動物への思いやりを持って生きているだけなのだ。

『伝統・文化を無視するのか!』

このようなやじが飛んできそうなので、最後にこれを説明して終わることにする。

伝統や文化は一種の洗脳に過ぎない。肉食は昔からやっているからと言って現代でも通用するとは限らない。狩猟採取の生活をしていて植物を捕まえるのと、動物を捕まえるのではどちらが簡単だと思う?

答えは明快で、すばしっこい兎や鳥人間よりはるかにでかいマンモスなどの大型獣を狩猟するではエネルギー消費量と命の危険が植物を取るのに比べて桁違いだ。そんな生活を昔の人が毎日好んでいたとは考え難い。

だから昔から好んで動物を食べていたわけではない。植物が少なくなる冬を越したり、不作の年を生き抜くために動物を仕方なくとっていたのだ。食料が新鮮な状態でどこでも手に入る現代では、食料に困ることはまずない。そして人間は肉を食べなくても生きていけることは、何度も説明してきた。

いっしょに読みたい!参考ブログ

伝統だから、文化だからと言って肉食を続けるのは、どうも説得力にかける。

ここからは余談

ついでに肉食以外の伝統・文化にも触れておこう。

着物を着る人が少なくなって、洋服を着ることが当たり前になったように伝統と文化は常に入れ替わっている。本当に守って継承すべき伝統・文化は必ず継ぐ者が出てくる。だから現代の家と比べて、耐久性と機能性が明らかに劣る、古民家に住む人がいるみたいに、伝統・文化は好意で継承される。

そもそも伝統・文化を無視するのかってヴィーガンに対していうのは不公平だ。それらが途切れる原因は、少子高齢化が著しく進む日本だ。そしてその責任は、若者その親世代そのまた親世代にもある。だからミレニアム世代に押し付けるのは決して良くない。

※肉食文化を否定肯定しているわけではない

伝統・文化などの固定概念に自分の判断を委ねず、インターネットで世界と繋がれるのだから「伝統だ」「文化だ」と言わず、科学で証明されていることを信じよう。

コロナの影響でこれまでの固定概念は大きく変わり、人類の考えは何十年も一気に進んだ。遅れをとることになるのは果たして、伝統を重じる人?それともアーリーアダプターなのか?

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祭りが盛んな地域に生まれた僕は、伝統文化や祭りが実際になくなると思うと寂しくて仕方がありません。しかし出来る事はする。それが本来の姿として残らない未来になるとしても。

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